オーガニックマーケットAOZORA
2015-04-30 05:57:31
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4月26日、AOZORAが青空を呼んだような奇跡の1日。
1万人を超える動員は、たちまち参加したブース出店の売切れを呼んだ。
俺たち実行委員のメンバーはこの一年、手探りで走り回った。
圓融寺と言う歴史と阿住職との出会いは決定的だったが、アレが無いコレが無いの無いもの尽くし。
冠ゼロ、補助助成ゼロ、下北沢もそうだが、相変わらずのゼロ予算スタート。
俺は慣れてはいる、が、メンバーは不安で一杯だったと思う。
ごめんよ。
そもそも「AOZORA PROJECT」とは何か?
マーケット運動とは何なのか?
「ひと駅にひとつのフェアトレードを」の合言葉は何を生み出すのか!?
俺たちには「人間エネルギー」がある。
しかし、歴史は作れない。
圓融寺には「歴史」がある。
その昔、寺や神社は地域のプラットフォームだった。
失った物や事、しかし記憶は途切れてはいない。
そこに「未来の種」をまく。
するとどうだろう…
「無いもの」と「あるもの」が結びつき「失った事」と「求める事」が一致する。
不思議な事に、人は本能的に「その場所」へ行かなくてはならない気持ちになる。
老人たちは遠い記憶を辿るように、子どもたちは最初から知っていたように「その場所」を使いこなす。
まるでサーカス!?
実はまぼろし!?
ほんの些細な事で、壊れてしまいそうなフェスタは、無意識に一人一人が繋ぎ止め、大きな1万人のAOZORAの和を持って完結した。
やっと出来た。
そして、やっと始まった。
誰ひとり、意味の無い人間などいない。
誰ひとり、役割の無い人間などいない。
奇しくも福島の農民たちが集い、奇しくもネパールの惨事が届いた。
何を意味するのか?
何をしろと言うのか?
言えるのは、俺たちは止まってなどいられない。
その次の大きな道標を持たされた。
AOZORAの和を世界に繋げる。
いつか軍隊が農民となり、手に持つ銃を鍬に代え、銃弾が種となり、命の放物線を描き、装甲車が産物を運び、飢えに苦しむ子どもたちのところへ、武力ではなく農のチカラで民族を穏やかにする、そんな時代が夢だ。
みんなありがとう。
起こせ、ココロの革命を!
オーガニックレボリューション!
NEXT AOZORA
農FUTURE!