米と兵隊
2015-01-02 10:50:35
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爺ちゃんの靖国へ詣でた。
戦後70年。
爺ちゃんが沖縄で戦死して70年。
爺ちゃんは農民だった。
米と麹屋の百姓だった。
家には麹室(こうじむろ)があった。
そんな爺ちゃん…
もう日本が負けると判っていた終戦間際。
ろくな訓練も受けずに船に乗せられ、南の島で死んだのだ。
6月、沖縄陥落の1週間前に沖縄本島米須の海で死んだのだ。
さぞ、口惜しかっただろう。
百姓として、秋の収穫も見ずに。
親として、子どもたちの成長も見届けずに死んだのだ。
爺ちゃんは、百姓で生きたかったんだと思う。
その叶わぬ思いを引き継いでいる事においては、俺自身確信してはいる。
俺がこんなにも農業にのめり込むのは、まさに俺の中に爺ちゃんが宿っているからだ。
爺ちゃんを例えるなら、米と兵隊。
昔、麦と兵隊なる本があったが、百姓兵隊の話ではなかった。
爺ちゃんは百姓の兵隊。
米と兵隊。
米国と兵隊、ではない。
米と兵隊。
アメリカに怯えながら、手のひらの生米をカジっている。
米と兵隊。
砲撃の音と音の隙間に、喉かで穏やかな稲穂の田園と青い空を想像していただろうか?
稲藁の匂いと、籾(もみ)の感触を実感していただろうか?
最期の瞬間、ひとりの農民の死を誰が気に留めただろうか?
米と兵隊。
70年前、ひとりの百姓が南の島で玉砕した。
たったそれだけの事だ。
しかし、その道はちゃんと息衝いている。
今の俺に宿っている。
米と兵隊。
戦後70年の、俺なりの答えがある。
米と兵隊。
それは英雄でもなんでもない。
ただの百姓が兵隊にとられ、死んでいった物語。
しかし、日本の百姓なら伝わる悲劇。
日本中、どこにでもあった悲しい物語。
誰もすくい取る事のなかった、百姓兵隊の死。
それが米と兵隊の物語なのだ。
米と兵隊。
爺ちゃんの戦争70年。